‘わかめを育む北浜の海’

海のテロワール・北浜

2012-03-01

Exif_JPEG_PICTURE
北浜の海をこう表現したのは、福岡県八女市で、私たちのわかめを販売してくれている朝日屋酒店の店主・高橋康太郎さんです。

朝日屋酒店は、店主の高橋さん夫妻が厳選した食品も扱っています。
そのひとつが、末崎わかめです。

東日本大震災の直後には、遠く離れた九州の地にありながら、北浜わかめ組合のために店内チラシを貼って募金箱を置き、義援金を集めてくれました。

テロワールとは、土壌や地形、気候などぶどうを育む環境を総称するフランス語だそうです。
ワインにも詳しい高橋さんは、フランスのワインづくりにたとえて、末崎わかめの育つ北浜の海をこう表現したのでした。

私たちがわかめを育てている北浜は大船渡湾の外側にあります。
ここには大船渡湾に注ぐ盛川と、天然林におおわれた末崎半島から澄んだ水が流れ込みます。
そこで、強すぎず弱すぎもしない潮流に揺られながら、肉厚で歯ごたえのある末崎わかめが成長します。

極上のワインを育むぶどう畑のテロワールのように、北浜は末崎わかめを育む「海のテロワール」なのです。


大きな地図で見る

養殖わかめ発祥の地

2012-03-01


Exif_JPEG_PICTURE
 

店頭に並ぶわかめのほとんどは、私たちのような漁業者が育てた「養殖わかめ」です。
その養殖わかめの発祥の地が、私たちのふるさと末崎町です。

この地の先人はわかめの生態を研究し、まだ誰も成し遂げていなかった養殖に挑み、生産手法を完成させたのです。

1953(昭和28)年、旧末崎漁協(現在の大船渡市漁協末崎支所)の小松藤蔵は、漁業者の所得向上をめざし、わかめの養殖に挑戦しました。
当時は現在のように専門業者が生産する漁具もありません。
何もかもが手探りで、必要な道具も自作しました。
小松は稲藁で編んだ縄にコールタールを塗って養殖縄にするなど、さまざまな手法を試みたといわれています。

そして、試行錯誤の末、とうとう1957(昭和32)年にわかめの養殖技術を完成させました。
末崎町で生まれたわかめ養殖の技術は三陸全体に広がり、1966(昭和41)年には養殖わかめの生産量が天然わかめを上回ります。

さらに、1965(昭和40)年には、同じく末崎町の佐藤馨一が、収穫したわかめを湯通しし、塩蔵する新しい保存技術を考案しました。
それまでわかめの保存方法といえば乾燥しかありませんでした。
しかし、湯通しすることでわかめを鮮やかな緑色に変え、塩抜きするだけで簡単に食べられる塩蔵技術が開発されたのです。

いまでは三陸沿岸に普及したわかめの養殖技術と塩蔵技術はともに、この末崎町で生まれました。

そんな歴史が末崎わかめのブランド化につながっているだけでなく、私たち生産者につねに誇りとともに自戒の念を呼び起こし、輝かしい歴史に恥じないわかめを生産しようとする意欲を生み出しているのです。


北浜わかめ組合 虹の会は、わかめ養殖に取り組む生産組合です。
わかめサポーターへの加入を電話で勧誘することは一切していませんし、電話で勧誘するいかなる団体とも無関係です。

Copyright(c) 2011 北浜わかめ組合・虹の会/nijinokai All Rights Reserved.